医療における「普通」は学ぶもの。コロナ禍に思うこと

  • 「普通」は学ばないとわからない
  • 看護プログラムで最初に学ぶこと
  • 「普通」を学ぶ部署
  • この記事で一番言いたい事

「普通」は学ばないとわからない

外科的手術を終えた友人が、外科医の指示の元、自分でドレッシング材の交換をし、10日後にフォローアップの日に見せに行ったら、手術箇所が化膿していたとのこと…。友人は「前回の手術よりいいと思ったから、変だと思わなかった」と言っていました。


外来の患者さんと「化膿してる状態」や、どんな状態になったら「infected wound」という状態なのかを一緒におさらいします。患者さんは、「はい、わかりました」と言って帰られますが、2~3週間後くらいに設定された予約日に訪れると、状態が悪くなってしまってる時があります。悪くなっていても、「どう?(woundは)大丈夫?悪くなってない?」という感じで来られるので、毎回しつこいくらい繰り返し繰り返しおさらいします。


コロナ禍に於いても、医療従事者じゃない一般の患者さんが、自宅で「普通」を見分けることは難しいです。状態が悪かったのに、その後、少し良くなったと感じることがあります。しかし、その少し良くなった感じが、実は逆に悪化の方向に進んでる過程としてそう感じられることもあります。どんなタイミングで医療機関に連絡を入れるべきなのかの判断も難しいです。「ちょっとしたら落ち着くかも」とか、「これくらいは普通なのかも」というふうなと気持ちの迷いがあるかもしれません。そしてその結果、体調が急激に悪化することも有り得るでしょう。コロナ禍で私達は、溢れる情報に惑わされ、何が普通かがよくわからないでいます。

看護プログラムで最初に学ぶこと

看護プログラムに応募する前に、応募者は数々の必修科目を既に取り終えているので、看護プログラムに入ったら、看護の理論も並行で勉強しますが、最初の学期から実習にも出ます。看護プログラム自体は2年間。学期はセメスター制だと全部で4つ。その全ての期間に実習があります。


最初の学期で学ぶことは、人間の「普通の状態とは何か」です。何が普通かがわからなかったら、異変に気付けないからです。


看護プログラムの先生が「何だかわからないけど、何かがおかしい(患者さんの容態)、と「感じることが出来る」ことは看護において重要です。」と言っていて、その何かがおかしいを理論に結び付けられるようになるために学校で勉強します。


「普通」を学ぶ

各学校のカリキュラムによって違いはありますが、普通を学べる場所として選ばれる部署は、一般内科・外科病棟、及び、整形外科病棟です。加えて産婦人科病棟。


勿論、どの病棟にも症状の軽い重いはありますが、これらの病棟では、患者さんは回復して退院するケースが殆どです。なので、学生は、患者さんの症状が徐々に「普通」に戻っていく過程がわかります。これに比べ、慢性的な疾患を治療する場所での実習は、2年目に行われたりします。


このように、看護師は学校で「普通」を学び、その学んだ内容を、出来る限り患者さんにお伝えして、患者さんにも自己防衛のツールを持ってもらえるようにします。


これからの時代は、もっともっと、「守りの医療」「予防医療」が重要視されていきます。かかったらどのように治療するかを学ぶ前に、どのようにリスクを回避できるか、どのように病気にかからないようにするか、を学んでいくことに重点がおかれます。


この記事で一番言いたい事


「普通」とは何か、ということで、あれこれ看護プログラムの事を交えて書きましたが、一番言いたかったことは、看護プログラム云々ではなく、コロナ禍にいる私達の安全です。



コロナ患者さんに自宅療養をさせるなら、行政側は、もっときちんとした医療情報を患者さんに提供してほしいと思います。このような状態は大丈夫、これは危険、こうなったら医療機関に連絡、というふうに具体的な指示と連絡先を盛り込んで欲しいです。


一般の患者さんに「普通」を見極める判断を任せるのは、酷以外のなにものでもないと思うのです。